企画展へのメッセージ
小高美穂(キューレーター)
柴田慶子の写真を初めて目にしたのは2019年に選考委員の一人として参加したエプサイトギャラリーの公募展「epSITE Gallery Award」の審査会においてだった。岐阜県の揖斐川町春日で聞き取りをしながら制作している一連の写真には、山村の住人や行事、風景などが写されながらも、それは単にその村の記録というものだけではなく、目には見えない気配や記憶が織物のように幾重にも織り込まれていた。儀式をあげる村人たちはまるで亡霊のように霧深い山中に浮かび上がり、咲き誇る真っ赤な百日紅に吸い込まれるように行列が消えていく。時に異なる像を重ね合わせて一枚に再構成されたそれらの写真は、現実と虚構の境界が揺らぎ、作家の聞き書きの中に登場する村人の言葉にもどこか通じるものがあった。一体何故作家がそのような手法を取っているのか、あるいはそのような手法を取る必要があるのかは初見では理解することができなかった。しかし、それでもなお写真のもつ抗いがたい魅力に引き込まれると同時に、私は直感的にこの作品は次の世代に継承されなければならないと感じた。その時の直感はその後に制作された私家版写真集「聞き写し、春日 ー」や今年の5月にニコンサロンにて展示された「古い生命」に結実した作品群を見ることでやがて確信に変わっていった。
柴田の作品を理解する上で重要な手がかりになるのは、目には見えないものの存在である。村人が語った昔話に登場するのは、かつてそこに暮らしていた人々の記憶や長い間語り継がれてきた光景の断片だが、それらはもはや現前には存在していない。メルロ=ポンティは「存在としての目に見えなさ」について『見えるものと見えないもの』の中で次のように述べる。
『意味は見えないものであるが、しかしこの見えないものとは見えるものと矛盾するものではない。見えるものそれ自体が見えない骨組みをもっているのであり、見えることのないものは見えるもののひそやかな裏面なのである…。われわれはその見えないものを世界のうちに見ることはできないし、そこにそれを見ようとする努力はすべて、それを消失せしめてしまうのである。しかしそれは見えるものの戦列のうちにあり、それは見えるものの虚焦点であり、それは見えるもののうちに(透し模様で)描き込まれているのである。』(p.311)
逃れてきた落人、戦地に旅立ち帰還しなかった者、村人に大切に守られてきた仏像、岩穴に住む大蛇など共同体の中で語られてきた言葉にのみ存在するそれらの断片を柴田は拾い上げ、写真という可視化された像に描き出す。
その行為はかつてオーストラリアの先住民であるアボリジニが旅の途上で出会ったものの名前を歌うことで世界を創造していったという話を想起させる。柴田は一つ一つの言葉の中に亡き魂を召喚し、時に単旋律に、またある時はポリフォニーのように響きあう写真へと昇華させ、その魂を鎮めようとしているかのようだ。言葉と写真によるこの鎮魂歌が、歌い継がれるようにして時代を超えて継承されていくことを願っている。
The first time I saw Keiko Shibata's work, I participated in the epSITE Gallery Awardas as one of the selection committee members .The series of photographs of her work are produced interviewing people in Kasuga, Ibigawa-cho, Gifu Prefecture.But they are not merely a record of the village; invisible signs and memories are woven into the fabric, layer by layer.The villagers who perform the ceremony float up into the misty mountains like ghosts, and the procession disappears as if absorbed by the bright red whooping in full crape myrtle bloom.These photographs, which were reconstructed into a single image by sometimes overlapping different images, shook the boundary between reality and fiction, and were somewhat similar to the words of the villagers in the artist's interview.Why in the world the artist was using such a method, or why it was necessary to use such a method, could not be understood at first sight.Nevertheless, I was still drawn in by the irresistible allure of photography, and at the same time, I intuitively felt that this work must be passed on to the next generation.My intuition at the time was eventually confirmed when I saw his subsequent private collection of photographs, "Kikiutsushi-Kasuga," and the group of works that resulted in "Old Life," which was exhibited at the Nikon Salon in June of this year.An important clue to understanding Shibata's work is the presence of the invisible.The old tales told by the villagers are fragments of memories of people who once lived there and scenes that have long been passed down through the generations, but they no longer exist in the present.“Meaning is invisible, but the invisible is not the contradictory of the visible: the visible itself has an invisible inner framework (membrure), and the in-visible is the secret counterpart of the visible, it appears only within it, it is the Nichturpräsentierbar which is presented to me as such within the world--one cannot see it there and every effort to see it there makes it disappear, but it is in the line of the visible, it is its virtual focus, it is inscribed within it (in filigree).”― Maurice Merleau-Ponty, The Visible and the InvisibleThe fragments that exist only in the words spoken by the community, such as the fallen who escaped, those who left for war and did not return, Buddhist statues carefully guarded by the villagers, and the serpent living in a rock pit, are picked up by Shibata and depicted in the visible image of photography.This act recalls the story of the Aborigines of Australia, who once created the world by singing the names of things they encountered on their journeys.Shibata seems to summon the souls of the departed in each word and sublimate them into pictures that resonate sometimes in monophony and sometimes in polyphony, as if she is trying to appease their spirits.I hope that this requiem in words and pictures will be passed down through the ages as the song continues to be sung.小高美穂
Miho Odaka
フォトキュレーター、日本大学芸術学部写真学科非常勤講師。上智大学英文学科卒業後渡英。Falmouth Collage of Arts(イギリス)写真学科修士課程修了。写真展、フェスティバルでのキュレーション、国内外の展覧会や巡回展のコーディネート、作家マネージメント、執筆等日本と世界を繋ぐ様々な写真のフィールドで活動している。主な展示に2016年T3 Photo Festivalでの共同キュレーション、2015年東京国際写真祭展示キュレーション、国際写真賞Prix Pictetの東京巡回展、『マリオジャコメッリ写真展―The Black is Waiting for White』(東京都写真美術館 2013年)のコーディネート等。関連イベント
要予約(博物館0585-58-3111)
10月22日(土)10:00~
オープニングトーク
10時~12時 「音、声が呼ぶもの」
- 司会:当館職員
- 市橋美佳(特別招待作家)× 柴田慶子
10月28日(金)11:00~
ワークショップ
●11時~13時 「写真で語る」(春日の人たちと語る)小高美穂(キュレーター)× 金山智子(IAMAS 教授)× 柴田慶子●14時~15時 「呼び覚まされ写真を撮る 目に見えるものと見えないもの」小高美穂× 柴田慶子作家紹介
About Artist
柴田慶子 Keiko Shibata
1965年生まれ。1990年代後半より春日を訪れ、聞き書きをライフワークとしている。
2008年・2012年岩波書店「世界」掲載、2019年第3回「epSITE Exhibition Award」受賞、2020年日本カメラ2月号に掲載、2020年春日森の文化博物館企画展、2022年ニコンサロン「古い生命」、私家版写真集『Aicient Ray』『聞き写し、春日 一』出版。
(特別招待作家)市橋美佳 Mika Ichihashi
暮らしと「音」を手掛かりに、気色をたどる場とする。
幼少期に鈴を集めていた記憶から、陶の「鳴リモノ」をつくる。 鈴木しづ子の俳句と合わせた作品集『月ピンクひまこれっきりすきなものは』2021年出版。
(ワークショップ)金山智子 Tomoko Kanayama
大船渡生まれ。ルーラルエリアやマイノリティ、災害や環境などをテーマにコミュニケーションの視点から長期的な研究を行なう。近年は記憶、レジリエンス、ケアをキーワードに、フィールドワークや実践プロジェクトを通して、これからの持続可能な社会のあり方について探求している。主な著書は『Perspectives on the Japanese Media and Content Policie』(Springer社)、『小さなラジオ局とコミュニティの再生~311から962日の記録』(大隅書店)、『コミュニティメディア』(慶應義塾大学出版会)、『NPOのメディア戦略』(学文社)、『ネット時代の社会関係資本形成と市民意識』(慶應義塾大学出版会)など
企画展に向けて 呼び覚ますのは言葉、地霊
琵琶湖の水 琵琶湖の上のB2928日の小高先生との対談で、「呼び覚まされ写真を撮る」とのタイトルをつけました。
私は、何に呼び覚まされているのでしょう。初めて、春日に来たとき最初に惹かれたのは春日の地霊といってもいいと思います。廃村で、川向うの墓にむけられている菊の花。貸してもらったカメラを向けると、何かが写っているね、と言われたものですが、その何かとは地霊というものだと、そのころからわかってはいました。地霊とは何でしょうか。精霊という言葉はどこでもありますね。「何世代にもわたる相互交渉が醸成する気風」(母の声、川の匂い」川田順三、筑摩書房 p10)という解説が私にはぴったりきます。人は死にますが、それでも、何世代にもわたって、後世まで影響を及ぼしあいます。精霊は「たちのぼる」という表現がぴったりきます。春日の古老は、驚くべき表現と記憶力で、過去を語ります。熊と出会ったことを、戦争で帰還しなかった友人、薬草を大垣まで売りに行く道筋の景色、死間際の姑のこと。それは自分の記憶と比較して驚くほど濃いものです。ちなみに、私は、民話や昔話そのものより、それを用いた日常の解釈に関心があります。『過去にあったことを想起して言葉で表現するとき、重なり合う二つの次元を区別すべきだと私は考えている。一つは「生きられた次元」であり、もう一つは「思い描かれた次元」』 「母の声、川の匂い」(川田順三、筑摩書房 p9)生きられた次元は、実際に1回限りの出来事で、思い描かれた次元は、一人ひとりの体験、だそうですが、自分は一人ひとりの体験を聞き取っています。企画展は「琵琶湖の水が国見峠を越えてこっちへ来ておったんじゃ」の藤原正身さんの聞き取りから始まります。琵琶湖の水が太古に春日に来ていたのは、「生きられた次元」(出来事)ですが、琵琶湖の水でなければつくられようがない故郷の地形への語りが「思い描かれた次元」です。藤原さんは、国見峠近くにある川石や集落の高いところに美束にしかない花崗岩があること、故郷の地盤が砂ばかりであることを、何か大きな存在がいなければつくりえないこの世の現象について琵琶湖という大きな存在に託して語るのでした。
春日は滋賀県との境にあり、滋賀や琵琶湖、峠である国見峠が他の古老の聞き取りのなかに何度も登場して興味深いです。
「B29がなんでここを通るのかというとね。琵琶湖の上でね、編隊組めば、下から攻撃受けせん」
山の上から、B29を数えた。なぜ、この山を通るのか。琵琶湖の上で、編隊組めば攻撃を受けない。普段は、のんびり1機、2機と少年は数えていた。あるとき100機ばかりきた。名古屋の空襲の時でした。自分たちを攻撃することはないが、100機を山から見ている。その音を想像して、震えるのです。
「麻蒸のおかまを、親父が買いに行った。国見峠を越えて」
「しょうゆがし(しょうゆをしぼったかす)を、国見を越えて、滋賀県に仲間と買いに行った。ほな、いこかとよぼいあって、親たちが向かう。その声を布団の中で聞いたのを覚えとります」麻を蒸すおかまは38キロもあった。それを古老の父親がセタにのせて、峠を越えておんできた。「いかにもえらかった」。
さて、はじめの作品群は、そんな琵琶湖に絡む言葉に感化されてつくったものですが、古老の言葉にはいつも音が聞こえます。
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